ハリケーン・カトリーナ ドクター國井の国際協力最前線27

ドクター國井の国際協力最前線(27)

「ハリケーン・カトリーナ」

長崎大学熱帯医学研究所熱帯感染症研究センター 教授 國井修

「災害は忘れる前にやって来る」

 8月末に米国南部を襲ったハリケーン・カトリーナは、インド洋津波の衝撃さめやらぬ間に、世界最強と自負する国をも機能不全にさせる自然の脅威を、世の中に知らしめた。

 冠水した街中をワニが悠々と泳ぎ、その横を遺体が流れる。避難を拒否した住民が汚水の中を闊歩し、その汚水で歯を磨く。この光景が本当にアメリカかと目を疑う。

 ハリケーン後まもなく、被災地では感染症流行の懸念が広がった。私のところにも日本の2、3のメディアから電話取材が来た。「これまで米国を襲ったハリケーン後に大規模な感染症流行が起こった例はない。今回もその可能性は必ずしも高くはないと思う」と応えたが、それでも感染症の危険性を聞きたがり、記事にすべく、さらなる感染症流行の脅威を示すコメントを引き出そうとしていた。

 特に、今回マスコミを煽動したのは、汚染水との接触によって被災2週間で5人が感染症により死亡したものである。この起因菌となったビブリオ・ブルニフィカス(VibrioVulnificus)をマスコミは「殺人細菌」と呼んだ。

 この菌は腸炎ビブリオやコレラと同じビブリオ属に属し、カキなどの海産物の摂食により下痢症、嘔吐、腹痛などの食中毒症状も起こす。その一方で、創傷から侵入して、組織壊死、敗血症、ショックにより死亡することもあり、発症者の致死率が50%にものぼり、感染から発症まで半日~2日,発症から死亡まで1~2日と急激な経過を辿る。「殺人細菌」と呼ばれた所以である。

 この菌は、塩分濃度1~3%の水を好み、メキシコ湾岸では常在する菌である。日本の沿岸にも生息し、これまでわが国でも百数十例の症例が報告されている。米国では、釣り客がボート上で転び、その時の軽い傷口から菌が侵入して、組織壊死、敗血症ショックを起こして死亡するなど、年間100例以上が報告されている。

 しかし、この菌が被災地で大流行するかといえばそうとはいえない。人から人に容易に感染は拡大せず,、この菌が体内に侵入しても健常者では感染しにくいからである。感染者は肝疾患、糖尿病、免疫疾患等を有するものが多い。

 ただし、破傷風を含め、傷口から侵入し全身を冒す病原

体は他にもある。汚染水・泥土には農薬を含む有害な化学物質も含まれる可能性もある。創傷を早めに処置し、できるだけ汚染水との接触を少なくする、または接触した際には汚れをきれいな水で洗い流すことが必要である。

避難所には、被災して体力・気力が衰え、栄養や睡眠も不十分となった被災者が密集する。感染症流行リスクは高まる。実際、3万人近くが避難したヒューストンのアストロドーム球場では、感染症胃腸炎が集団発生した。ノロウイルスが原因であったようである。インフルエンザを含む呼吸器感染症もこのような環境下では流行しやすい。阪神淡路大震災でも多くの高齢者が急性肺炎となっている。

今回の被災地では西ナイル熱も懸念されている。この病気は1999年までアメリカ大陸での発生はなかったが、ニューヨークで最初の症例が見つかって以来、米国全土に広がっている。感染しても発症するのは2割程度で、発熱、頭痛、筋肉痛などのインフルエンザ様症状だが、重症化して脳炎となり死亡することもある。全米で昨年1年間だけでも患者は2500人以上に上り、100人が死亡している。

 このウィルスは、スズメやカラスなどの鳥が中間宿主となり,蚊(イエカ)を媒介してヒトに感染する。今回の核災地ではこれまでも症例が報告されてきたが、洪水の影響で媒介蚊が繁殖し、感染リスクが増加する可能性はある。

不眠不休の救援活動

 被災地の保健医療対策は、州保健局とともに米国厚生省の疾病管理予防センター(CDC)が担当する。丁度、被災後2週間後に米国出張があったので、アトランタに立ち寄りCDCの知人と会う約束をした。本部には災害対策本部が設置され、被災地に約250人が派遣され、300人態勢で臨んでいるという。被災地・避難所における感染症サーベイランスから、水・衛生管理,精神衛生対策まで、日夜徹しての活動だという。

 結局、友人は対策本部から抜け出せず、電話で話をした。折角、アトランタに来てくれたのに会えなくてごめん。何度も謝っていたが、背後で電話が鳴りまくる忙しい中、電話でも話せてよかった。メディアには映らないが、多くの人々によって今も救援と復興が続いている。