Osamu Kunii
國井修 official website

國井 修 Osamu Kunii

公益社団法人
グローバルヘルス技術振興基金
(GHIT Fund)CEO

 國井修先生は、シュバイツァーに憧れて医師になり、日本のへき地医療に従事しながら、国境なき医師団のような緊急援助組織(アムダ)を立上げ、その後、政府組織(国立国際医療センター、JICA)、政府(外務省)、大学(東京大学・長崎大学)、国連(ユニセフ)、国際機関(グローバルファンド)、官民パートナーシップ(GHIT Fund)などを通じて、世界約130ヵ国で感染症対策、母子保健、難民支援、緊急援助などに従事してきました。その道なき道を突き進んできた先生の生き様から多くの学びや感動、希望を与えられた若者は数知れません。

 このホームページは、國井先生の活動やそれを突き動かす信念や情熱を多くの方々に知って頂きたいと思った教え子が、國井先生の許可を頂き、活動や業績を共有して頂いて作成したものです。是非、多くの方々にご覧頂き、機会があれば生の講演や講義などで先生本人に接して頂ければと思います。

プロフィール

PROFILE

経歴

栃木県大田原市生。医学士(自治医科大学)、公衆衛生学修士(ハーバード大学)、医学博士(東京大学)。

大学在学中に、インド・カルナータカ州のUdupi Ayurveda Collegeに留学してインド伝統医学アユルベーダ、タミナードゥ州のVivekananda Kendraでヨガを学ぶ。大学時代はアジア医学生連絡協議会(AMSA)の日本代表、アジア代表として、国際会議、フィールドスタディなどを行い、アジア医師連絡協議会(AMDA、のちにアムダ)の創設にも関わる。また、インドシナ難民、アフリカの紛争や飢餓、貧困問題などに関わり、特にソマリア難民キャンプでは数か月ボランティアを行った。

大学卒業後、内科医として病院や栃木県奥日光の山間僻地(栗山村)で診療する傍ら、AMDAを通じて国際緊急援助、新たに立ち上げたNGO「栃木インターナショナル・ライフライン(TILL)」を通じて在日外国人医療などに従事した。

1995~2000年5年間は国立国際医療センター国際協力局派遣協力課に所属。ペルー大使公邸人質事件医療班、インドネシア森林火災(煙害)、バングラデシュ竜巻災害・洪水災害、アフガニスタン難民などへの緊急援助・調査、モザンビーク、インドなどでの病院プロジェクト、ガボンやコートジボアールなどでのエボラ熱やエイズなどの感染症対策・調査、インドネシアやニカラグアなどでの地域保健や母子保健プロジェクトなどに参加し、特にブラジルには1年間滞在し、貧困な村やスラム街での公衆衛生プロジェクトに参画した。

2000~2001年、東京大学医学系大学院国際地域保健学では専任講師として、大学院生の指導、研究に従事しながら、ブラジル・アマゾンでの辺地医療、カザフスタン・アラル海環境汚染、タンザニアの難民医療などに関わった。

経歴

2001~2004年、外務省経済協力局調査計画課では、民間から専門家を登用する任用制度の第一号として、沖縄感染症対策イニシアティブの監理・運営、人口・エイズに関する地球規模問題イニシアティブ(GII)、日米コモンアジェンダにおける保健パートナーシップなどを推進した。

2004~2006年、長崎大学熱帯医学研究所教授として、スマトラ島沖大地震・インド洋津波における文部科学省研究班(リーダー)、日本政府調査団、日本医師会調査団などに参加した。
2006年より国連児童基金(ユニセフ)職員となり、ニューヨーク本部で保健戦略上席アドバイザー、ミャンマー国事務所では保健・栄養プログラム・チーフ、ソマリア支援センターでは保健・栄養・水衛生部長として、子どもの死亡低減のためのプログラムを統括した。

2013年2月よりグローバルファンド(世界エイズ・結核・マラリア対策基金)戦略・投資・効果局長。世界で最も多くの人命を救っている国際機関のひとつで、2002年創設よりこれまでに4400万人の人命を救ってきた。

2022年3月より、公益社団法人グローバルヘルス技術振興基金(GHIT Fund)のCEOに就任する。

京都大学、長崎大学、東京医科歯科大学、千葉大学、昭和大学で客員教授、東京大学などで非常勤講師を務める。(なお、講演や取材依頼等につきましては、お問い合わせよりお願いいたします。)

受賞歴等

1993年1月:栃木県連合学校保健功労賞
1993年9月:フルブライト奨学金(Fulbright Award)
1995年:青年版国民栄誉賞である「人間力大賞(TOYP)」外務大臣賞とグランプリ (TOYP: The Outstanding Young Person)
1995年3月:阪神大震災派遣団 厚生大臣表彰
1996年7月:バングラデシュ竜巻災害緊急援助 外務大臣表彰
1997年12月:インドネシア森林火災緊急援助 外務大臣表彰
1997年5月:ペルー日本国大使公邸人質事件医療チーム 厚生大臣表彰
2020年3月:第54回吉川英治文化賞
2020年4月:第7回ゼロマラリア賞(マラリア・ノーモア主催)
2021年8月:世界が尊敬する日本人100 (ニューズウィーク日本)
2021年11月:世界に貢献する日本人30(ニューズウィーク日本)
2024年6月:野口英世アフリカ賞委員会 委員長

プロフィール

PROFILE

経歴

栃木県大田原市生。医学士(自治医科大学)、公衆衛生学修士(ハーバード大学)、医学博士(東京大学)。

大学在学中に、インド・カルナータカ州のUdupi Ayurveda Collegeに留学してインド伝統医学アユルベーダ、タミナードゥ州のVivekananda Kendraでヨガを学ぶ。大学時代はアジア医学生連絡協議会(AMSA)の日本代表、アジア代表として、国際会議、フィールドスタディなどを行い、アジア医師連絡協議会(AMDA、のちにアムダ)の創設にも関わる。また、インドシナ難民、アフリカの紛争や飢餓、貧困問題などに関わり、特にソマリア難民キャンプでは数か月ボランティアを行った。

大学卒業後、内科医として病院や栃木県奥日光の山間僻地(栗山村)で診療する傍ら、AMDAを通じて国際緊急援助、新たに立ち上げたNGO「栃木インターナショナル・ライフライン(TILL)」を通じて在日外国人医療などに従事した。

1995~2000年5年間は国立国際医療センター国際協力局派遣協力課に所属。ペルー大使公邸人質事件医療班、インドネシア森林火災(煙害)、バングラデシュ竜巻災害・洪水災害、アフガニスタン難民などへの緊急援助・調査、モザンビーク、インドなどでの病院プロジェクト、ガボンやコートジボアールなどでのエボラ熱やエイズなどの感染症対策・調査、インドネシアやニカラグアなどでの地域保健や母子保健プロジェクトなどに参加し、特にブラジルには1年間滞在し、貧困な村やスラム街での公衆衛生プロジェクトに参画した。

2000~2001年、東京大学医学系大学院国際地域保健学では専任講師として、大学院生の指導、研究に従事しながら、ブラジル・アマゾンでの辺地医療、カザフスタン・アラル海環境汚染、タンザニアの難民医療などに関わった。

経歴

2001~2004年、外務省経済協力局調査計画課では、民間から専門家を登用する任用制度の第一号として、沖縄感染症対策イニシアティブの監理・運営、人口・エイズに関する地球規模問題イニシアティブ(GII)、日米コモンアジェンダにおける保健パートナーシップなどを推進した。

2004~2006年、長崎大学熱帯医学研究所教授として、スマトラ島沖大地震・インド洋津波における文部科学省研究班(リーダー)、日本政府調査団、日本医師会調査団などに参加した。
2006年より国連児童基金(ユニセフ)職員となり、ニューヨーク本部で保健戦略上席アドバイザー、ミャンマー国事務所では保健・栄養プログラム・チーフ、ソマリア支援センターでは保健・栄養・水衛生部長として、子どもの死亡低減のためのプログラムを統括した。

2013年2月よりグローバルファンド(世界エイズ・結核・マラリア対策基金)戦略・投資・効果局長。世界で最も多くの人命を救っている国際機関のひとつで、2002年創設よりこれまでに4400万人の人命を救ってきた。

2022年3月より、公益社団法人グローバルヘルス技術振興基金(GHIT Fund)のCEOに就任する。

京都大学、長崎大学、東京医科歯科大学、千葉大学、昭和大学で客員教授、東京大学などで非常勤講師を務める。(なお、講演や取材依頼等につきましては、お問い合わせよりお願いいたします。)

受賞歴等

1993年1月:栃木県連合学校保健功労賞
1993年9月:フルブライト奨学金(Fulbright Award)
1995年:青年版国民栄誉賞である「人間力大賞(TOYP)」外務大臣賞とグランプリ (TOYP: The Outstanding Young Person)
1995年3月:阪神大震災派遣団 厚生大臣表彰
1996年7月:バングラデシュ竜巻災害緊急援助 外務大臣表彰
1997年12月:インドネシア森林火災緊急援助 外務大臣表彰
1997年5月:ペルー日本国大使公邸人質事件医療チーム 厚生大臣表彰
2020年3月:第54回吉川英治文化賞
2020年4月:第7回ゼロマラリア賞(マラリア・ノーモア主催)
2021年8月:世界が尊敬する日本人100 (ニューズウィーク日本)
2021年11月:世界に貢献する日本人30(ニューズウィーク日本)
2024年6月:野口英世アフリカ賞委員会 委員長

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